Photos of Nanbo   page.1

でリポート。
 2008年3月29日。皆生菊乃家でのライブが跳ねたあと、なんぼ一同は社長とラウンジへ。

 次回のコラボレーションへ向けてのリハーサルだということで社長がカラオケのマイクを握る。「よくは知らないけど…」と言いながら、いやはや、上手いし味がある。一同思わずのけぞってしまった。
 
 壁面に掛けてある画は菊乃家の従業員の方の作品で県知事賞を受賞したものである。これがまた異彩を放っていてvery Good!


 2008年2月23日。境港市「成田屋」。

 荒天のライブ。雪は降るわ、道路は凍るわ、しかし満員の店内は、熱気に包まれていた。

 2007年9月以来ひさしぶりの「成田屋」。例によって予告飛び入りのスペシャルゲスト'Gonzales' のフラジオが炸裂!
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 2007年12月21日。この年最後のライブは、ホテル「ハーベストイン米子」でのクリスマス・ディナーライブ。

 飯田恭之(ds)のとりあえず最後のライブとなった。いろいろあった一年でメンバーも入れ替わったりしたが、何とかかんとかここまでこれた。2008年が更なる飛躍の年になれば。
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 2007年12月14日。米子市「キャリーリー弓浜店」。

 兎にも角にも、まずはご来場下さった皆さん、ありがとうございました。ベストは尽くしたつもりですが、「無事終了」というわけにはいきませんでした…

 もともとasが欠場の予定で、ずっと3管による調整をやってきていたのだが、まさに開演直前になってtpが欠けるという緊急事態が発生。大混乱のなか、2管+voで薄氷のステージをなんとか全うした。今後、MCは広報担当が受け持つことに。
 2007年11月。米子市「キャリーリー弓浜店」にて。

 マスターの厚意で、この日ライブ出演したプロ・ミュージシャンの方々とセッションさせて頂いた。地方だからこそ、こうした機会にできるだけ多くのことを吸収できればと駆け付けた「なんぼ」の3人。ギタリストの畑ひろしさん(後列右から2番目)達との楽しいひととき。
 2007年10月6日。ホテル「ハーベスト・イン・米子」のプライム・ナイツで初めてお披露目された「なんぼ'Sギャラリー」のディスプレイ。広報部長の企画。

 これまで勝手にリリース(?)した「なんぼ」のCD、写真等を展示したもの。写真はその一部だが、ようやく「なんぼ」にも歴史らしきものができてきたと実感。10年後にはどうなっているんだろうか。今からドキドキ、わくわくだ。
 2007年10月6日。米子駅前のホテル「ハーベストイン米子」でのステージ終了後の記念撮影。

 飯田恭之(後列右端)が何を吼えているのか、未だに定かではない。ちなみに後列左端は心霊写真ではなく、ベースの松井英樹。しみずりえはフリューゲルホーンを食べようとする一歩手前だった…
 2007年8月25日。境港夢みなとタワー「Mirage」。

 定例の「ミラージュ」ライブだが、この日はTV効果もあってか久しぶりの大入り。ボーカルの坂本恵津子も定着してきて、以前よりステージ構成の幅が格段に広がった。
 2007年8月。なんぼ恒例の納涼会。上半期の労をねぎらう意味で毎年開いている。

 この日の会場は朝日町のS庵。随分と出来上がった連中(後列右から2人)。すっかり目が座った人(前列左端)。早くも「なんぼ」色に染まりつつある人(前列右端)。冷静を装う残り2人。キャラもさまざまだ。
 2007年8月3日。米子市「キャリーリー弓浜店」での初ライブ。久々の米子での演奏ということで「なんぼ」一同張り切った。

 トランペットの岡宏由紀はこの日、背中の肉離れ(何でやねん)で肩が上がらないコンディション。痛み止めの注射を打って出演した。同年12月にあった同会場での2度目のライブには不測の事態に見舞われ出演できないなど、同氏にとっては因縁の会場。3度目の正直で、次こそは万全のコンディションでリベンジを図りたいと言っている。
 2007年7月8日。中海テレビで番組収録。

 なんぼ初のTV出演。汗びっしょりの緊張感溢れる収録であった。何テイクか録ったもののなかなか満足できる結果には至らず、敢えなく時間切れ。
 
 それでも8月に放映されたときには、各所から目撃情報が寄せられることになり、後に各方面から出演依頼をいただくきっかけにもなった。メディアの力恐るべし!
 2007年7月7日。境港市「成田屋」。俗に「七夕セッション」と言われる(のかどうかは分からない)。

 このライブから「なんぼ」ヴォーカルに新星・坂本恵津子女史が参加。ステージの幅がぐっと広がる。彼女のソフトでソフィスティケイトされた、メランコリーでメロウなスタイルは今では「なんぼ」の看板となっている。
 2007年5月19日。境港市夢みなとタワー「ミラージュ」での定例ライブ。「なんぼ」は同年9月を最後に同会場でのライブを中断。 

 思えばここが「なんぼ」の出発点であり、あらゆる意味で良い修行の場だった。お客さんよりメンバーの数が多い、なんてことも何度かあり、精神的にもかなり鍛えられたのではないだろうか。
 2007年4月28日。境港市「成田屋」でのライブ。

  広瀬謙一(フロント中央)の手にする楽器は掟破りのバス・クラリネット。マルチ・リード奏者としての力量は山陰でもトップレベル。
 2006年末。「なんぼ」忘年会。当時「なんぼ」のボトムラインを支えたのが岩井女史(右から2番目)。会場は米子駅前通り沿いのM田屋さん。「なんぼ」恒例の宴会場としては最も使用頻度の高いお店の一つとなっている。
 同じく2006年のクリスマス・イブ。「成田屋」のご主人成田さん(左)と「なんぼ」のしみずりえ。背後には星条旗がどどーんと。

 ネイティブ・アメリカンと言われても違和感のない成田さん。この写真で「なんぼINアメリカ」と、アメリカツアーをしたように見せかけて営業するのも悪くないかも知れない。
 2006年12月24日。クリスマス・イブの夜、境港市のライブの殿堂「成田屋」にて。店内はまさにアメリカンムード一色。「なんぼ」はアメリカン・ドリームを果たせるか。

 ちなみに、緑色のかさのライトは「バンカーズ・ライト」といって、その昔、アメリカの銀行で使われていたもの。グッド・オールド・デイズの雰囲気を醸し出している。
 2006年12月23日。境港夢みなとタワー「Mirage」。

 クリスマス・イブ・イブの夜、なんと総勢10名が参加。tp、tp、as、ts、p、b、ds、harp、percにvoとは、なんともゴージャス。これが山陰のジャズ界ではクリスマスの奇跡と呼ばれていたのかどうかはよくわからないが、なんぼにおける出演者の最多記録であることは間違いない。

 
 2006年10月21日。いまづ屋にて。

 とある結婚式の2次会。米子ジャズのメッカ「いまづ屋」に全国からつわものミュージシャンが終結。壮絶なジャムセッションが延々と繰り広げられた。実にしびれました。

 
       2006年6月23日。境港夢みなとタワー「Mirage」。

 オープニングイベントのわずか1週間後、なんぼのミラージュ定例ライブが始まった。

 週2回の週末ライブを、地元の数少ないアマチュアジャズバンドで回していこうという企画の一端を担うことになり、毎月毎月、瞬く間に1ヶ月は過ぎていく。

 
       2006年6月17日。境港夢みなとタワー「Mirage」。

 米子市音楽祭の2週間後、夢みなとタワー4階にオープンしたライブ・スポット「ミラージュ」のこけらおとしのイベントに出演。

 プロフェッショナルなバンドを含め3バンドで競演するという企画だったせいか、このときばかりは「ミラージュ」も超満員。なんぼの実質的なスタートラインともいえるステージ。

 
     2006年3月17日。境港シンフォニー・ガーデン「サロン・コンサート」。

 「なんぼなんでも」のバンド名を冠した、記念すべき初ステージ。前年の6月にあった米子市音楽祭の出演バンドJazz Minority Orchestraを母体に、なんぼは誕生したのである。
  tp、tp、tsの3管+ピアノ・トリオ+ヴォーカルという7人編成でのスタート。


                                                                                                                                  
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