PPhotos of Nanbo   page.4

 2007年10月。米子駅前のホテル「ハーベストイン米子」でのステージ終了後の記念撮影。

 飯田恭之(後列右端)が何を吼えているのか、未だに定かではない。ちなみに後列左端は心霊写真ではなく、ベースの松井英樹。しみずりえはフリューゲルホーンを食べようとする一歩手前だった…
 ホテル「ハーベストイン米子」で初めてお披露目された「なんぼ」展示会。広報部長の岡雄一の企画。

 これまでリリース(?)した「なんぼ」のCD、写真を展示したもの。写真はその一部だが、ようやく「なんぼ」にも歴史らしきものができてきたと実感。10年後にはどうなっているんだろうか。今からドキドキ、わくわくだ。
 2007年8月、なんぼ恒例の納涼会。上半期の労をねぎらう意味で毎年開いている。

 この日の会場は朝日町のS庵。随分と出来上がった連中(後列右から2人)。すっかり目が座った人(前列左端)。早くも「なんぼ」色に染まりつつある人(前列右端)。冷静を装う残り2人。キャラもさまざまだ。
 2007年8月、米子市「キャリーリー弓浜店」での初ライブ。久々の米子での演奏ということで「なんぼ」一同張り切った。

 トランペットの岡宏由紀はこの日、背中の肉離れ(何でやねん)で肩が上がらないコンディション。痛み止めの注射を打って出演した。同年12月にあった同会場での2度目のライブには不測の事態に見舞われ出演できないなど、同氏にとっては因縁の会場。3度目の正直で、次こそは万全のコンディションでリベンジを図りたいと言っている。
 2007年7月7日、境港市「成田屋」。俗に「七夕セッション」と言われる(のかどうかは分からない)。

 このライブから「なんぼ」ヴォーカルに新星・坂本恵津子女史が参加。ステージの幅がぐっと広がる。彼女のソフトでソフィスティケイトされた、メランコリーでメロウなスタイルは今では「なんぼ」の看板となっている。
 2007年5月。境港市夢みなとタワー「ミラージュ」での定例ライブ。「なんぼ」は同年9月を最後に同会場でのライブを中断。 

 思えばここが「なんぼ」の出発点であり、あらゆる意味で良い修行の場だった。お客さんよりメンバーの数が多い、なんてことも何度かあり、精神的にもかなり鍛えられたんではないだろうか。
 2007年4月。境港市「成田屋」でのライブ。広瀬謙一(フロント中央)の手にする楽器は掟破りのバス・クラリネット。マルチ・リード奏者としての力量は山陰でもトップレベル。
 2006年末、「なんぼ」忘年会。当時「なんぼ」のボトムラインを支えたのが岩井女史(右から2番目)。会場は米子駅前通り沿いのM田屋さん。「なんぼ」恒例の宴会場としては最も使用頻度の高いお店の一つとなっている。
 同じく2006年のクリスマス・イブ。「成田屋」のご主人成田さん(左)と「なんぼ」のしみずりえ。背後には星条旗がどどーんと。

 ネイティブ・アメリカンと言われても違和感のない成田さん。この写真で「なんぼINアメリカ」と、アメリカツアーをしたように見せかけて営業するのも悪くないかも知れない。
 2006年12月24日。クリスマス・イブの夜、境港市のライブの殿堂「成田屋」にて。店内はまさにアメリカンムード一色。「なんぼ」はアメリカン・ドリームを果たせるか。

 ちなみに、緑色のかさのライトは「バンカーズ・ライト」といって、その昔、アメリカの銀行で使われていたもの。グッド・オールド・デイズの雰囲気を醸し出している。

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