What is Jazz ?



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ジャズについて A

                                      

11   なんぼ版「椰子の実」について
 ジャズとボサノバを中心に演奏するバンド「なんぼなんでも」の原点となった曲に「椰子の実」がある。御存知、有名な唱歌の「椰子の実」。「なんぼ」オリジナルアレンジの「椰子の実」は、ピアノの田中啓三と私が、夜の三時ぐらいまでスタジオに籠もってアイデアを発展させた結果、初期バージョンのアレンジが完成した。

 音楽の作業でいちばん楽しいのは、こうしてアイデアを形にしていく過程なのかも知れない。「あーでもないこーでもない」と言っているうちに数時間はあっという間に過ぎ去ってしまう。

 「椰子の実」で大切にしたのは「遠い国から浜辺に流れついた椰子の実」のイメージだった。イントロの部分はそのイメージを拠り所とした完全即興。一つのコードだけを決めておき、演奏者各自が「流れついた椰子の実」をイメージしながら、周囲の音を耳で確かめつつストーリーを創造していく。これは非常にスリリングな作業である。

 これをメンバー各自に説明するのが簡単でもあり難しくもある。「何それ?」って言われたら終わりだ。それ以上説明する余地もない。

 楽曲というものには、便宜上コードネームが記されているが、本来、どうイメージしていくかが演奏者の務めだと思う。ジャズで陥りがちな罠は、コードがイメージを凌駕してしまい、コードにフレーズをあてはめる作業に追われてしまうことだ。これは本末転倒で、コードはハーモナイズする上での便宜上の取り決めに過ぎない。先立つのは飽くまでもイメージであろう。

 即興演奏で譜面を使わないということは、イメージを持つ責務をまっとうすることに他ならない。

 「即興」を謳うなんぼの立ち位置を明確にする上でも、この曲はやって良かったと思う。メンバーの一部ですら理解を得られなかったのだから、聴いている人達はどうだったのだろうかと疑問だが、このように白いカンバスに絵を描いていくような方法論は、やはり音楽の原点だと思う。
 ミュージシャンたるもの、曲を演奏する際には何らかのイメージを持って欲しいものであ
る。


12   マイナー・ミュージックとしてのジャズ
 ジャズはマイナー・ミュージックなのか。はい、マイナー・ミュージックです。「Blue Note」「Prestige」「Riverside」など、ジャズ黄金時代を象徴するレーベルも実はマイナー・レーベル。昔、「CBS」より「Blue Note」の方が規模のでかい会社だと思い込んでいた時期があった。とんでもない誤解である。「CBS」が山なら「Blue Note」は蟻塚。贔屓目に見れば丘というところか。

 モダンジャズの歴史は、1940年代のビ・バップから始まったとされる。私もそう思う。はっきり言えばそれ以前のジャズと以後のジャズは似て非なるもので、例えると馬車から特急列車にひとっ飛びしたぐらいの進歩を遂げてしまった。一聴して分かる変化は、テーマおよびアドリブの音符の細分化。あたかも、それ以前のダンス音楽としてのジャズのカウンター・カルチャーの様相を呈している。時代背景を考慮するならば、黒人の自己主張と捉えることも可能だ。心象を察するに「俺達の音楽はダンスのBGMじゃねえんだよ」といったところか。

 ビ・バップが余りにも難解だったため、この様式を洗練する動きが10年後の50年代あたりから見られるようになる。50年代も中盤に差し掛かると、テーマのメロディーやアレンジもかなり洗練されたものとなり、次第に「耳に易しい」音楽へと移行するが、白人ミュージシャンのデイヴ・ブルーベックがメジャー・レーベル専属になることはあっても、多くの黒人ミュージシャンはメジャーからは黙殺状態だった。当時のアメリカはまだまだ人種差別大国だったのだろう。

 随分と洗練はされたが、イマイチ分かりづらいジャズ。コルトレーンなどは練習のし過ぎで、とうとう「Giant steps」などというとんでもないレコードを吹き込んでしまった。このとんでもないレコードがバップの頂点、究極のバップであることが、そもそも分かりにくさを象徴している。コルトレーン本人は「分かりにくい、やすい」など全く眼中になく、ひたすら音楽の追究だけを考えていたのだと思うが。

 60年代の日本人の若者にはそうした精神性がマッチしたのか、奇跡的に「黒人インストゥルメンタル・ジャズ」が受けた。ジャズ喫茶なる文化も流行り、80年代半ばぐらいまでは、店内での会話を禁止するジャズ喫茶も現存していた。バブルの到来と共に、そのような文化が一気に衰退したのは注目すべき点だ。
 バブル時代、ジャズは「お洒落」なイメージで語られていたように記憶している。どこかの広告代理店の仕掛けだと思うが、野外フェスもさかんに開かれ、最前列で踊りだす方々がジャズファンの顰蹙をかったのも記憶に新しい。バブルの崩壊と共に、そんな雰囲気も無くなった。ジャズの分かりづらさだけが残った。

 「なんぼ」のメンバーの中には働き始めてからジャズを学んだという者も多い。私が言うのも何だけど、ちょっと凄いことだと思う。だって、ジャズを演奏するためには、楽器自体の練習と平行して、本当に多くのことを学ばなければならないのだ。疲労で気力が向かわなくて当たり前なのに、あえて挑戦するところは傍目にも思わず唸ってしまう。いや、ジャズって難しいのだ、真面目に。メンバーの「少しでも良い音楽をやりたい」気持ちがひしひしと伝わってくる。勿論自分もそのつもりだけど。私自身は、仮にそういう気持ちが無くなったら即音楽をやめて他のことをしたい。


13  JAZZ そのボーダーラインを行く
 ジャズの原体験がエリック・ドルフィーだったせいか、ジャズの即興部分の深層に強く興味を惹かれる傾向にある。でたらめに演奏している訳でもないのに、あのような音を奏でること自体の不可解さ。音とその瞬間の因果関係を思うに、プレーヤーの内面を通して小宇宙を展開しているとしか思えない。

 音を出しているにも拘わらず、音楽を演奏していると言うよりも、自己の内面とつながった宇宙の姿を描き出していると言った方がいいプレーヤーがいる。チャーリー・パーカー、ドルフィー、コルトレーン、トム・ハレルetc.まるであちら側ことちら側のボーダーラインを行き来するような音世界だ。パーカーが演奏に、両方の目玉が互いにあらぬ方向に向いていてヤバいように、コルトレーンが「聖者になりたい」と口走ったように、はたまたトム・ハレルが向こうに行ってしまうように。

 絵画家(と言っていいのかどうか)横尾忠則氏の絵や思想が結構好きで、本も愛読させて頂いた。「地底都市シャンバラと交信しつつ創作している」みたいなことを言っておられて、常人が迂闊に口走れないような科白なのだが、私はそれを読んで「宇宙とつながっている」と直観した。と言うか、創造の必然性を語る時、どうしても宇宙、或いは宇宙の創造主とされる(一般的には)神に言及せざるを得ないんじゃないかと思っている。

 決して難しく考えている訳ではない。そもそも宇宙はシンプルだが、我々の概念が及ばない分、難解だと誤解されるのかも知れない。もっとも音楽を演奏される方は、音楽そのものが数学的、宇宙の法則に則っていることを意識的にも無意識的にも実感されているのではないかと思う。


14   ジャズは楽しいのか
 はい、楽しいです。最近でこそ妙に理想が高くなり手放しに楽しくない部分もありますが、基本的には楽しい音楽です。特に楽器やり始めてから1〜3年ぐらいは滅茶苦茶楽しい。何故かって、出鱈目吹いていても許されるからだ(笑)世の中にこんな音楽は滅多にないでしょうね。

 私が18歳の時、大学のジャズ研に入って数ヶ月後、初めてセッションなるものを体験しました。曲はFのブルース。勿論コードやスケールなんて訳が分からなかったのですが、とにかくAbの音がハマることといったら・・理論的な根拠は皆無ながら、Abが妙にバックの音とフィットして「これがジャズか」などと感じ入った思い出があります(笑)

 まぁ当時は楽理なんてさっぱり分からなかったし、音も出なかった訳ですが、クラシックやブラバンには全く興味がなく、とにかくジャズをやりたいがために楽器を手にしたので、このフィット感さえ味わえれば、かなり満足でした。と言っても、当時周囲にはチャーリー・パーカーやコルトレーン、ドルフィーのフレーズを平気で吹きまくる連中がごろごろ居ましたから、非常に肩身の狭い思いもしました。レコードに合わせてコルトレーンのジャイアント・ステップスを寸分違わず吹く人間もいましたからね(笑)

 それでも楽しめたのはジャズだからですよ。別に音数埋める必要もないですし、高い音吹く必要もない。自分のペースに合わせてアドリブがとれるから、その点非常に助かりましたね。ただアーティキュレーション、というかノリみたいなのは割と最初から褒められてました。それが嬉しかったというのも楽しめた一因ではあります。あと、不幸なことにジャズトランペッターというのは今も昔も数が少なく、希少価値に随分救われました。

 人には理想像というものがあって、大抵の人は理想と現実のギャップに苦しむ訳です。生活と同様に音楽も、「こうありたい」と思う姿と現在の自分の乖離が、往々にして悩みの種になってしまいます。私も以前はそんな感じで、常に自分のプレイに悩んでいましたが、所詮悩んだところで一朝一夕に上手くなる訳でもないので、悩むのが大儀くなってきました。

 理想はあくまでもイメージするもの。練習時における到達点のイメージであって、それと比較して落ち込んでも仕方がないな、と考えています。前回記事の内容と背反するかも知れませんが、結局のところ楽しくないと上達もしないですからね。前回記事の「練習した奴だけが楽しめる」という部分は厳密に言うと「練習を楽しんだ奴だけが楽しめる」と言えるのかも知れません。

 最初は適当にやってても楽しけりゃいいんですよ。音遊びをするぐらいの感覚でいいと思います。


15   ジャズ研の時代
 ジャズ研時代を振り返ってみますと・・

 「高校時代からチャーリーパーカーをコピーしとった」とか「部室の片隅でジョー・ファレルのコピー吹いとるとか(H野だよ!・笑)」「福岡中州のハコで3年演奏しとったとか」、そんな連中ばかりなんですよ。とほほ。音大の連中も頻繁に出入りするし(リコーダーでドナ・リーを演奏してた人がいた)、嫌になってくる訳ですね。

 で、年間行事の発表会になると「ジョイ・スプリング」だの速い「四月の思い出」だの、有無を言わさずやらされるんですよ。っつーか出来る訳ないだろう!まるで戸塚ヨットスクールのようなしごきに耐えられたのは、気のいい連中が多かったからでしょう。あと、前にも書きましたが、幸い私はリスニング歴だけは周囲を凌駕していましたので、既に身体感覚が完全にアフタービート化していた(アタマで入ることが今でも気持ち悪い)のと、コードを色で感じる習慣があったことが救いでした。お陰で、低レベルだったにもかかわらず「フィーリングは悪くない」などと言われ、首の皮一枚で何とか誤魔化してきました(苦笑)

 今にして思えば初期の段階でプロに習っておけば苦労せずに済んだのに・・必死こいて例の「チャーリーパーカー・オムニブック」などを朝から晩まで練習したりして、トランペットではまず使わないであろうフレーズを覚えたりしていました。

 楽しかったのは「ジョーファレル・コピーマン」とやっていたバンドで、このバンドの時は選曲もちょっと他と違うものが出来て楽しかったですね。ドルフィーの「ファイヤー・ワルツ」やマイルスの「チューンアップ」など。彼とは六本木のピアノバーに行ったりもしてましたが、やはり東京。突然シャープス&フラッツのピアニストがやってきて、「じゃあオレオしようか」みたいな話になる訳です。「ええ」とやり始めると、いきなり350ぐらいのテンポでイントロ弾かれるんですよ(笑)この類のいじめは結構よくある話です。某ジャズバーではセッション中にいきなりスティーブ・グロスマンが乱入してきて「ビリースバウンス」を吹いて周囲を唖然とさせたこともありました。う〜む、東京は怖かとこですたい。


16   太田朱美さんのライブで感じたこと
 米子市出身のジャズ・フルート奏者・太田朱美さんのライブに行ってきました。率直な感想としては「凄く良かった」。流石。太田さん個人のプレイも冴え渡っていたが、バンドとしての一体感も素晴らしいライブだった。やっぱジャズは生演奏のもんですよ。

 ジャズの醍醐味とも言える「瞬間瞬間で音楽を創り上げていく」スリル。メンバーが互いに相手の音を感じ合って、その音に対してどんなイメージをぶつけていくか。そのプロセスがとても面白く、個性のぶつかり合いでありながら調和している感じ。これこそ即興演奏だろう。

 この日のライブを聴いて自分の課題として思ったことは
  @周りに仕掛けること(リズム面、ハーモニー面でも)
  Aあらゆるテンポに対応できること
  B逆に仕掛けに対応すること
などなど。結局のところ即興演奏の旨味は@Bに集約されるところがあって、この部分が抜け落ちてしまっては意味を成さない。

 プロのライブを聴いて何がいいって、自分の課題が浮き彫りになることですよ。自分には何が不足しているのかがよく分かる。問題は不足している部分を自分で補う努力をするかどうかだ。問題点に気付き、それを克服することでしか人間成長できない。私も普段は超多忙な人間で練習もままならない状況ではあるけど、かと言って問題点を放っておいたら一生自分の求めるプレイなんかできないのである。

 ○私は上手くなりたい
 ○それなら何をすべきか
 ○本当にやるのか
という点で、結局は自分自身がどうありたいかにかかっている。ホンとジャズはきれいごとの世界じゃないな。練習した奴だけが楽しめる。練習しないとストレスだけが溜まる―残酷だがそんな世界だ。

 格言「求めなければ与えられない」逆に言えば有名な科白の「求めよ、そうすれば与えられるだろう」。いやはや。


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