What is Jazz ?



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ジャズの群像 

                                      

1   チェット・ベイカー「晩年スタイル」
 トランペットの音をフルートの音と聴き間違えたのは、後にも先にも一回しかない。その一回がチェット・ベイカーの晩年の演奏で、「Polkadots and moonbeams」だった。

 ジャズトランペットの即興演奏の場合、5線下のBbより低い音はあまり使わないのが普通だが、チェット・ベイカーは5線下のG、F付近まで割と多用する。一般的なトランペッターの音域を5度低い方にずらした感覚だ。フルートの音と間違えたのは低音域のサブトーン。こんな吹き方があったとは。

 後年のチェットのスタイルは、麻薬の代金の代わりに歯を折られたという肉体的な要因によって創り上げられていった。「最大のピンチは最大のチャンスなり」の諺を身をもって証明した訳だ。その結果チェットは、一般的に全盛期と評される50年代よりも遥かにニュアンスに富んだトーンとヤマ場を32分音符でラウドに吹き飛ばす「晩年スタイル」の確立に成功した。理想の音楽を最先端のスタイルに見出し続けたマイルスも立派だが、一ジャズマンとして、トランペットでの表現にこだわり尽くしたチェットも凄い。

 ジャズのアドリブは普通、テーマをモチーフにテーマのコード進行に基づいて演奏される。瞬間的に思い付いたフレーズや指癖でアドリブを展開していくので、テーマ以上に印象的なメロディというものはなかなか思い付かない訳だが、チェットの場合アドリブにおいても印象的なフレーズを連発し、非常に覚えやすい。コルトレーンの「Giant steps」のアドリブを口ずさめるのは、おそらくジャズミュージシャンだけだろう。しかし「Chet Baker Sings」の「There'll never be another you」のイントロのトランペットソロを口ずさめる人はジャズミュージシャン以外にも多いのではないだろうか。

 「晩年スタイル」では、あらゆるテンポでコード進行にぴったりと張り付くようなアドリブを聴かせる。アドリブを聴けば、大体のコードがつかめるほど、アウトのないラインだ。同じモチーフを吹きながら、ピアノがコードチェンジした瞬間にモチーフを半音ずらせたり、とにかくコード進行に忠実。バップと言ってしまえばそれまでだが、バップの一言では片付けられないほど、メロディのセンスが図抜けている。案外と「晩年スタイル」を評価する人は少なくて残念だ。書物には決まりごとのように「50年代が全盛期」と書かれ、なかなか正当な評価をする人が少ない。50年代より上手く自由に楽器が吹けていることは、誰よりも本人がいちばんよく分かっていたのだと思う。


2   You Tube三昧
 You Tubeの音楽動画をまとめたサイト「MICKEY TV」。観ていたらあっと言う間に時間が経ってしまった。その中で印象に残った動画を紹介すると・・

 まずはフィル・ウッズ(as)とトム・ハレル(tp)の2管クインテットのライヴ。トム・ハレルの超ファンなので、動く姿を観る機会は貴重だ。この人、精神分裂症、今で言う統合失調症を患っており、ステージでは自分のパートを吹く時以外は、がっくりとうなだれている。本当にうなだれているのだ。

 だが、一旦自分のソロになった瞬間、突然生き返ったようにトランペットを構え、途切れることのないフレーズをばりばりと吹き始める。と思ったら、ソロが終わった瞬間、まるで電池の切れた玩具のように、がくっとうなだれ、そのまま微動だにしない。これはインパクトのある姿だ。なんだか人前に出るのが嫌そうである。

 しかしながらソロは凄い。コーン・コンストレーションから放たれるサウンドは分厚い音塊そのもの。ダークなんだけどブライトな成分も多く、とにかく圧倒的な密度感を感じさせる。フレーズも端正。ここではバップに徹しているが、随所にトム・ハレルらしいフレーズも聴ける。すべての怨念を込めたかのようなフレーズの説得力はさすがだ。チェット・ベイカーとトム・ハレル。どこか共通する雰囲気のある二人は、私の好きなトランペッターの5本の指に入る。

 一方のフィル・ウッズも老いてなお盛ん。このスピード感が、いかにもNYジャズという雰囲気を醸し出している。

 最高に良かったのが、トム・ジョビンとジョアン・ジルベルトのデュオによる「シェガ・ヂ・サウダーヂ」。こ、これには震えた。ブラジル音楽界を代表する二大巨頭の共演。それだけでも感涙ものだが、自由奔放なジョアンのプレイをジョビンがピアノで寄り添うようにフォローする感じとか、ブラジル音楽史を牽引してきた二人ならではの風格漂うプレイに思わず興奮する。こういうのがコラボレーションと言えるのではないか。

 他にもエリック・ドルフィーの映像、マイルスのビッチェズ・ブリューなど、ジャズの映像ってこんなにたくさん存在していたのかと感心してしまう。


3  今最も新譜が聴きたいアーティスト
 それこそジャズを聴くようになってから、「誰それの新譜を待つ」なんてことはまったくと言っていいほどなくなった。数十年前の再発盤を待ったり、気が付いたら誰それの新譜が出てるから買ってみようか、みたいなノリ。その中で、殆ど唯一、新譜が気になるミュージシャンがいる。JOYCEだ。ジャズではなくMPB(ブラジル音楽)の人だけど・・

 数年前クラブ・ブームで火がついた感のあるジョイス。その名を一躍有名にしたのがアルバム「Feminina」(「Agua e luz」と2in1になっている:Recommend CDコーナーでも紹介しています)だ。1980年録音ながら、今聴いても十二分に新鮮。27年前の音楽ってこんなに豊かだったんだと驚く。音楽で新しい世界を構築してやろうという純粋な思いが伝わってくるような気がする。これって最近のジャズが失いつつある部分だな、などと思ったりもする。音楽が思想とか人生そのものであり得た時代だ。この類の音楽は概して色褪せることがない。

 しかしこの人のアルバムはどれも完成度が高いな。エリス・レジーナを追悼した比較的最近のアルバム「宇宙飛行士」も、普通だったら本家が凄いだけに企画倒れに終わりがちだが、ジョイスはさすが。エリスのアクを抜き去って見事なまでに自分の世界を創り上げている。ジャストな音程で歌いだすところは大貫妙子以上で、これがジョイスの持ち味の一つだ。それだけに、しばしば声が楽器のように響く。本人もそのあたりの効果を狙っている節もあり、よくスキャットも披露する。超アップテンポでギターと一糸たがわぬユニゾンで歌いきるスキャットは圧巻。極度に感情を込める訳でもなくある意味クールに、しかし情熱的に自らの世界を表現するジョイスから目が離せないでいる。

 最近のブラジル物再発ブームは何でもありの嬉しい状況だが、見ると欲しくなるから、あまり見ないことにしている。ジョイスのファースト「JOYCE」もついにCD化された(かなり前だけど)。トニーニョ・オルタのファーストもCD化されたぐらいだから、昔のちょっと渋めのアルバムもどんどん出てきているんだろう。個人的にはマリア・クレウザのアルバムとかドリス・モンテイロ、パスコアルあたりの一挙再発があればと思う。もうあったのかも知れないけど。

 まぁこらからの季節はうざいことは忘れて「Feminina」でも聴きながら涼しい部屋でメチャクチャうまいアイス珈琲か、極冷えしたエビス・ビールでも飲みながら、ひぐらしの鳴き声に耳を傾けつつうたた寝でもしたい。想像しただけで昇天だ(笑)


4   綾戸さんのヴァイタリティに触れた
 世の中には凄くヴァイタリティのある人がいるもんだ。そんな人を見ていると、体力に個人差があるように、ヴァイタリティにも個人差あるような気がしてならない。いや、きっとあるに違いない。ない人は無理にあるふりを装わない方がいい。いたずらに疲れるだけである。

 ヴァイタリティの極み、というか、ヴァイタリティの権化ともいうべき人が上の綾戸智恵さん。自分で言うのもなんだけど私は極めてソフトな人間なので、初めて綾戸さんに話しかけた時もいつもの感じで話しかけたら、すごく早口で答えられてびびった。多分私の4倍は喋るスピードが速いと思う。関西弁だから余計に速く感じる。

 まぁ、大ホールでソロするぐらいの人だから、とりあえず数千人の観客を飲み込むような迫力じゃないといけないのかも知れない。ご存知の通りトークも面白いからトークを中心に聴きに来る人も多いんだと思う。その意味では一流のエンターテイナーでもある。

 最近は露出の少ない(TVを観てないだけなんだけど)綾戸さんだが、私はどちらかというと、ジャズ・バーのような狭いハコで静かなバラードを歌う綾戸さんを聴いてみたいと思った。というか、むしろそっちの方が持ち味なんじゃないか。

 全然関係ないんだけど、若い頃に外国で生活すると、解放的な性格になるんだろうか。綾戸さん然り、ルー大柴然り。だからという訳ではないが、この秋ぐらいに外国にでも行ってこようかな、などと妻と話している今日この頃。MCが上手くなるかしらん(笑)
 


5   イタジャズの巨匠エンリコ・ラヴァ
 普段トランペットを演奏している訳だから、トランペット演奏を聴くのが好きだ(笑)が、無茶苦茶明るい音の、一般の方がイメージするトランペットの音は実はあまり好きではない。例を挙げて申し訳ないんだけど、ニニ・ロッソとか、アルトゥール・サンドバルみたいな感じですね。とはいえ、逆に最近のモネ使用のウイントン・マルサリスとかの超ダーク・サウンドというのもちょっと。
 その点、ジャズ・トランペッターの音は基本的に程よいダーク・サウンドなので耳に心地よい。マイルス、チェット・ベイカー、トム・ハレル、ウッディ・ショウetc..みんな個性的なダークである。

 個人的に注目するのがイタリアの巨匠エンリコ・ラヴァだ。ラヴァ本人が敬愛するマイルスを彷彿とさせるダーク・サウンドで、それでいてより金管成分が強くエアリーなサウンド。歌い回しの色っぽさはどうだ。「イタリア人の吹くジャズ」としか言いようがない。

 フランスのサックス奏者バルネ・ウィランのプレイも「フランス人としか言いようがない」プレイだが、そうした香り立つ国民性というのは、ヨーロッパ・ジャズマンの場合、特に強く感じる。隠し切れない出目、というか文化である。歴史は伊達じゃない。思うに、例えば世界の経済が崩壊するなどの窮地に立たされた場合、土壇場で正気を保っていられるのがヨーロッパ人であるような気がする。変な例えだが、それぐらいラヴァのプレイは美しさに対して貪欲なのだ。

 そこで御紹介するアルバムは、その名もずばり「ヨーロピアン・バラッズ」。イタリアにちなんだ名曲を、ラヴァ風に料理したアルバム。いかにもヴィーナス・レコードらしい企画で、あざといといえば十二分にあざとくもあるけど、あざとい企画を素晴らしいジャズ・アルバムに昇華させるのがラヴァの実力。映画音楽として有名な「ジェルソミーナ」、「太陽がいっぱい」など、普通ジャズでは採り上げないような曲も入っている。これらの美しいモノクロームの旋律を、ラヴァがダーク・トーンで切々と歌い上げる。マジでいい。ギター二本と、リチャード・ガリアーノのアコーディオンの、トリッキーな編成のバックがポップでサイケだ(笑)私はこれでラヴァにハマり、コレクトするようになった。

 このアルバムを聴くと「日本人のジャズってどんなのだろう」と考える。勿論、決して日本語で歌えばいい、或いは日本古来の曲を演奏すればいいという安易な発想ではなく、もっとソウルの部分で…。
 


6   市原ひかりのCD「Stardust」を買った
 久々にCDを買ってみた。
 女性ジャズ・トランペッター市原ひかりの新アルバム「Stadust」。私は硬派なジャズ・ファンなので女性ジャズメンだろうが男性ジャズメンだろうが、そんなことはどっちでもいいと思っている。市原ひかりがどんなプレイをするのか。それを聴いてみたかった。

 職業柄まず使用楽器に目がいくんだけど(笑)、ほうほうXOのRV−GBってか。マウスピースはジャルディネリっぽい。ジャズ仕様の組み合わせですな。今回はクインテットでスタンダード中心に演奏している。リズム陣はジョージ・ムラーツ、ビクター・ルイスなど大物で構成、冒頭の曲は、かの「Blue minor」である。

 トランペット自体、やや線の細い印象を受ける。ただ音は金管的。ソフトな感じとも違う。32分の速いフレーズが得意のようで、随所でそうしたアプローチが聴かれる。独特な感じではあるが、やはりもう少しガッツがほしい気がするのも確か。「Stardust」「When you wish upon a star」「Smile」など、お馴染みのスタンダードが目白押しで、どう料理するのかが聴きどころだ。

 しかしながらちょっとこのアレンジは・・誰がアレンジしたのかと思ったら市原ひかり本人だったとさ。いや〜前向きな姿勢は評価するけど、ちょっと無理があるアレンジではないか。無理やりアイデアをひねり出したような違和感を感じる。ストレートにやった方が絶対にいい。フリューゲルの雰囲気がいいだけに惜しい。ただこの人の場合、ジャズよりも2曲のオリジナルのように、少しポップな路線の方が資質に合ってるのではないかと思う。

 最初はイマイチだと思ったが、聴いてるうちに、こんなんもありかなと思えるようになってきた。アルバムを通して感じるのは「すごく真面目な人なんだな」ということ。正直な話、同じ女性ジャズ・トランペッターでも、イングリッド・ジェンセンなんかと比べると、う〜んと思う点も多い。けどジャズと向き合う真摯な志のようなものを、この人の音楽からは感じることができる。おそらく本当にジャズがやりたかったんだろう。個人的にはポップな曲をフリューゲルで演奏するのを聴きたいけど。
 


7   大貫妙子と矢野顕子
 今回購入したCDの中一枚が大貫妙子の「TCHAU」。1995年にリリースしたブラジリアン・テイストの濃いアルバムだ。声質がボサノバ向きなだけに、ブラジルとの相性はばっちりだろうと思っていたが、やはり違和感がない。もっとも内容はボサノバと言うよりも、サンバ、ショーロ志向が強い。

 日本人シンガーのアルバムを買うことは殆ど無いけど、大貫妙子と矢野顕子は別格。この二人は日本が世界に誇るシンガーと言っても過言ではない。その世界はまさにワン・アンド・オンリーだ。

 トニーニョ・オルタ、ギル・ゴールドステインといった超個性派のミュージシャンと共演しても圧倒的な個性を放つ矢野顕子。「ラーメン食べたい」とピアノを弾きながら叫ぶ姿は圧巻だ(笑)ピアノも無茶苦茶上手い、且つ個性的。非常に日本的な情緒溢れる音楽でありながら、西洋音楽的構造において一分の隙もない。ゆるいけど完璧な音楽。これは凄いことだ。

 大貫妙子は矢野顕子と比べるとオーソドックスな路線だが、フレーズの頭をジャストなピッチで入る歌い方が独特。ビブラートなし、フレーズの終わりをばっさりと切る唱法は、これもまた他に例を見ない独自のものである。そもそも母音語の日本語と4、8、16ビートは相性が悪く、歌謡曲がダサい大きな要因となっている訳だが、大貫妙子は母音を切り捨てることで見事にその問題を解消している。矢野顕子も然りで、切る、又はスキャット気味にフェイクすることでダサさから脱却している。

 また、大貫妙子は、アコースティック・アルバム「Pure drops」で聴かれるように、淡々と歌っているようで、そこはかとない切なさを歌に込めるのが上手い。これなど、伝統的な日本人の感情表現のスタイルだと思う。そう、二人とも極めて日本的なのだ。西洋音楽の形式の中で、純日本的なものを表現する。多くの日本のシンガーが、西洋音楽の形式に基付いてアメリカ的な表現に走る中で、二人の音楽の品格は際立って見える。「日本的ジャズ」を考えるヒントも、案外このあたりにあるかも知れない。。
 


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