What is Jazz ?



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全国ジャズ行脚 

                                      

1   高知には「Guild」というジャズ・コミュニティがある
 ジャズのいいところは初対面の者同士でも、「ミスティ、キーはEbで、テンポ70ぐらい」と言うだけでその場で演奏できてしまうところだろう。ピアニストのコード遣いの癖やグルーブ感覚の違いなど、多少の慣れを必要とする部分はあるが、基本的には曲名、キー、テンポを設定すればあとは音でコミュニケートしていけばOKだ。あとは初対面の人間を前に吹くか吹かないかが問題。吹けるか吹けないか、ではなくて吹くか吹かないか。これが案外ジャズ演奏を楽しめるかどうかの分かれ目になるような気がする。実際にセッションして楽しかったかどうかは別問題だ。

 2006年3月、妻と高知市を訪れた。同市在住のジャズテナー奏者・井上省三氏に会うのが旅の目的だった。井上氏のBLOG「JAZZ天動説」によると、氏は1949年高知生まれで、高校在学中から演奏活動を開始。高知市役所職員として働きながら32年間アマチュアバンドのリーダーとして活動後、50歳を契機に辞職。プロのジャズマンになる。2003年には全編オリジナル曲による初アルバム「You can touch my eyes」を発表、月一の定期ライブのほかに様々なステージをこなしつつ現在に至る―普通に考えると、50歳できっぱり市役所を辞めるのが凄い。このあたりの年齢で職場を辞めて議員になる人は多いがジャズマンになった人は聞いたことがない。そういう意味でも一度お会いしてみたかった。さらに井上氏はジャズ教室の教え子さんたちで構成される「Guild」というグループを組織。先進地視察ではないけど、どうやったら地方ジャズが活性化するのか、その取り組みを訊いてみたかった。

 高知市に到着後、さっそく井上氏の店舗兼スタジオを訪ねる。いきなり土佐弁の洗礼を受けた(当たり前か)。熱さとクールさを兼ね備えたような感じの人で、理路整然としたトークの中にしばしばユーモアが混じる。厳しさの中にも暖かさが感じられるお人柄だったが、相手に強いるような圧迫感を与えない点が特に印象的だった。これ、指導者として重要な要素だと思う。「できてもできなくても、生徒さんにはテンポ300の曲をやってもらっています」というようなことをソフトにきっぱりと言われる(笑)実際に早い曲なんてできてもできなくても普段からそのテンポに慣れていくことが重要。しかしながら、音楽の先生は「200ができるようになってから」「とりあえずスケールをマスターしてから」などと、段階的な方法論に陥りがちだ。かといって、300に対峙する生徒の方も、最初は相当に勇気が要る訳だから、そんな時に「ソフトな強制」が必要となってくる。それをさりげなく実践されているところが凄いな~と思いました。

 そのように、いわば実践的なジャズ指導で、初心者の生徒さんを育成。一曲吹けるようになると月一のライブでステージを経験させるという。ライブのお客様はリピーターが多く、「Guild」のメンバーの成長を見守るような温かさがあるという。実践的指導→ライブ→バンドメンバーに育てられる→お客様に育てられる→バンドメンバーにフィードバックといった流れで良い循環の輪が形成されている。手短に書くと簡単そうだが、よほどの忍耐、ジャズへの愛着がないと難しいだろう。そんな過程を経たメンバーで吹き込んだ初アルバム「You can touch my eyes」は感動的だ。ボサノバを主体としたオリジナル曲はどれも美しく、まるでスタンダード曲の如し。

 ちょうどその頃に私たちも「なんぼ」を結成。頭の中で描いていたバンドのイメージが高知訪問で明確になった。バンド、というかコミュニティーのようなものを目指したのが、私の「なんぼ」のコンセプトだった。言葉で説明するのは難しいけど、要は「上手くなりたいと思う前提で、音楽を楽しみたいメンバーの集まり」みたいな(ちょっと違うか)。

 氏は「お客様を『客』と言ってはいけません。『お客様』です」など、プロ・アマを超えたミュージシャンとしての心構えにまで踏み込んで指導されていた。私も練習や定期ライブに参加し、とても楽しい時間を共に過ごさせて頂いた。この時の体験を通して「ステージを勤める」ということを学ばせて頂きました。


2   大阪の熱いJAZZ NIGHT ①
 だいたい三ヶ月に一回ぐらいのペースで一週間の日程で大阪に出張があるのだが、一週間楽器に触れないなど当然の如く考えられないので、楽器は持参する。でも練習場所がないので、もっぱら練習は楽器店でやっている。マウスピースだけ持って行って、2、3本試奏するついでに練習もしてしまおうという寸法だ。お店には悪いが、背に腹は代えられない。色々な楽器が吹けるので、これはこれで結構楽しい。

 夜はひたすらジャズ・バー巡りに耽る。あらかじめ「ジャズやねん関西」でトランペッターのライブ・スケジュールをチェックした上で、大阪ジャズ行脚をする。3月は幸いというか困るというか、一週間の間に、田中洋一氏、広瀬未来氏、唐口一之氏、市原ひかり氏のライブが目白押しだった。後、セント・ジェームズ、ジャズ・オン・トップのセッション・デーもあり、悩ましいぐらいの充実ぶりだった。

 初日は広瀬未来氏のライブに行く。10人入れば満員になりそうな地下の喫茶店でのライブ。1m前にトランペットのベルがくるぐらいでGoodだ。一度広瀬氏を聴いてみたかった。曰く「日本人離れした逸材」「和製テレンス・ブランチャード(!)」。そう言われたら何が何でも聴いてみたい。2週間前から予約して行った。

 ライブの途中から入ったが、演っていた曲がちょうどサム・リバースの「ベアトリス」。私のレパートリーでもある(笑)エレピとベースのトリオの編成だ。嬉し過ぎる。トランペットの音を身体全体で浴びて、それもベアトリス。きれいな音が気持ちいい。間近で聴いているのにうるさくないのだ。それにしても「ベアトリス」を皮切りに「ザッツ・オール」「ユー・ステップト・アウト・オブ・ア・ドリーム」など、選曲が無茶苦茶渋い。年齢を尋ねたところ、若干23歳ということだが、この選曲は渋い。個人的には好みだ。半分はNY在住ということもあって、何となく外人ミュージシャンが好みそうなレパートリーのような気がした。

 演奏終了後、ちょうど良かったのでジャズのことやトランペットの奏法に関する質問を投げかけてみた。広瀬氏は私の質問に一つずつ丁寧に答えてくれた。凄くいい人である。割と若いミュージシャンに質問すると、適当に答える人が多いんだけど、あまり適当に答えられると腹が立つ。こっちだって真剣に訊いているのだ。かつて「あそこで何でオルタードを使ったんですか?」と訊いて「オルタードってどんなスケールか知らない」などと答えてくれたピアニストが居たけど、そんな訳ないだろう。そんなんでミュージシャンを名乗らないで欲しいぜ。広瀬氏はそんなのとは違う。本物のミュージシャンだった。

 バックのラッカーにバック5C。う~ん、このセッティングであそこまで吹けるとは。ほかにもカデンツァの吹き方など教わった。おまけに打ち上げにまで参加させて頂いて本当に申し訳ない。打ち上げに居合わせた、日本橋の某有名オーディオ店の方が「この前島根にパラゴンを納入しに行きましたよ」と笑っておられた。すげぇ。パラゴンを買う人が隣県に存在するなんて驚きだ(笑) 


3  大阪の熱いJAZZ NIGHT ②
 大阪がローカルだということを如実に示す例として、楽器店の少なさが挙げられる。中古楽器店も含めて、東京の圧倒的な物量と比べると、いかにも寂しい。それだけ今の日本は東京に一極集中している訳だが・・

 大阪の楽器店といえばミナミの「三木楽器」「ミュージックライフTAO」(中古楽器)、「ビーフラット・ミュージック」(主にマウスピース)、キタの「ドルチェ楽器」ぐらいしか思い付かない。東京ではすぐに思い浮かぶ店だけでも「山野楽器」「ウインドクルー」「石森管楽器」「DAC」「THE中古楽器屋」「黒澤楽器」「イシバシ」「ドルチェ」「シアズ」「ザイレム」「TAO東京店」「弦楽器の山本」「ヤマハ各店舗」などがある。

 ジャズNIGHT2日目はキタのとあるジャズ・バー。女性2人のフロント(asとtp)にピアノ・トリオのクインテットでバップを演奏するバンドだった。最初、ピアノの方のジャズ教室の生徒さんバンドかと思ったが、関西大学ジャズ研の方々とプロの方の混成バンドであることが後に判明した。私が着いたのは2ステージからで、ちょうど「コンファメーション」の途中だった。「なんぼ」同様、トランペッターが女性なので何だか感動。女性の感性でトランペットを吹くとどうなるか、そこに興味がある。フレディ・ハバードみたいに吹かれたら逆に引くだろうな。

 この女流トランペッター氏、アンコールの「セントトーマス」のソロの途中でバテのため音が出なくなってしまった。このつらさはよく分かる。2ステージフルに演奏することは、トランペッターにとっては決して楽なことではない。で、音が出なくなってどうしたか。何と、スキャットを始めたのだ(!)う~ん、参った(笑)普通アドリブを途中で切り上げてもよさそうなものだが、まさか歌に走るとは。驚きだ。

 その理由が、ジャズNIGHT3日目に判明するのだ。
 3日目、地下鉄を降りたらすぐのジャズ・バー「SUB」に行く。トランペッター唐口一之氏のクインテットを聴くためだ。するとどうだろう。この店のカウンターの中に居る若者は、ジャズNIGHT2日目のドラマーであるし、女流トランペッター氏も居るではないか。聞くと明日がK西大学の卒業式だと言われる。なるほど。卒業記念ライブだった訳だ。それは中途半端にアドリブを終えたくないよな。スキャットに走ったのも納得。

 ほかにも先日同様「ジャズやねん関西」を主宰する人と知人の女性も居て、案外とつながっている大阪ジャズシーンを実感した。実情はよく分からないけど。

 それにしても凄かったのが唐口氏のトランペットだ。とにかく流暢。日本人には珍しいタイプだと思う。滅茶苦茶テクニシャン。全盛期のケニー・ドーハムみたいだ。「呼吸法はどうすればいいんですか?」とライブがはねた後に訊いてみた。曰く「息を吸わないのが正解。きちんと吐けば必ずきちんと吸う」とのこと。

 「SUB」のオーナーは大阪ジャズ界の重鎮・西山満(b)氏である。「コンファメーション」を演奏する際のMCで「この曲はチャーリー・パーカーのブルースや。みんなAA'BA''で演奏するけどやな。ブルースなんねん。せやからブルースの魂で演奏せなあかんねん」と説明。凄い。こんな格好いいMC、聞いたことない!

 大阪の熱いジャズNIGHTは熱さの余韻を残して更けていった・・・


4   こんなステージもあった
 米子に帰って十五年、兵庫県香住町から島根県出雲市まで、いろいろな所でライブをやらせてもらいました。どのライブもそれぞれ印象に残っていて、振り返ると懐かしい。中でもとりわけ楽しかったのが、香住町の「モノラル」というジャズ・バーであったセッションだった。

 「モノラル」は但馬地方で唯一のジャズ・バーで、結構な老舗だったように記憶している。当時既にジャ ズ・バーじゃなくて普通の飲み屋になっていたが、地元ピアニストのコーディネートで、一夜限りのジャズ・バー復活が実現した。というか、「モノラル」がジャズ・バーだと思って、私とアルト・サックス奏者のO君でセッションしに行こうと計画したら、ジャズ・バーではないと言われショックを受けていたところ、せっかくだからと、ピアノの方が鳥取市~豊岡市のジャズマンをわざわざ集めて下さった。総勢約20人。こんなにジャズマンがいたのか!と思わず感極まってしまった。

 私たちはさっそく「モノラル」の近くに宿をとった。香住といえば・・・蟹。香住港で水揚げされた香住蟹は、ベニズワイガニながら超美味だ。下手な松葉ガニよりも数段旨い。しかも蟹刺し、焼き蟹、蟹鍋などのフル・コースで値段は一泊二食付13000円也。凄いお値打ち感だ。蟹がウリの宿だけに蟹がショボければ話にならないが、それにしても食べきれず残してしまうほどの蟹地獄にお目にかかれることなど滅多にない。で、この後にセッション。何とも贅沢な楽旅である。

 「モノラル」に集まったのは鳥取市、豊岡市、香住町のジャズマンと私たち。セッションが始まるなり、そのレベルの高さに焦った。豊岡市は神戸市に近いということもあって、神戸でレッスンを受けているロリンズみたいなテナー奏者もいた。ドラムは地元プロの人らしい。上手いのもさることながら、ジャズに取り組む姿勢が一様に真面目で驚いた。しかも謙虚。やはり「研鑽し合う」っつー雰囲気は大切ですね。

 そんなこんなで深夜までセッション&飲みが続いた。一度、山陰のジャズマンを一堂に集めて大セッション大会をしたら面白いだろうな。誰か企画しませんか?

 一方で「トラックの日」イベントでの演奏とかもあった。ステージは勿論、トラック。トラックの荷台がステージになっていて、それはそれでいいんだけど、目の前におでんとかの屋台があって、そんな中で「酒とバラの日々」なんかを演る訳だから何だかよく分からない(笑)本当に色々なステージを経験させて頂きました。  


5   沖縄の熱い夜 ①
 とにかく寒いのが苦手で、中には暑いのも寒いのも苦手な人もいるけど、私の場合は寒さに弱いだけで暑さには強い。動物タイプの人間と言うより、植物タイプの人間なのかも知れない。そんな体質だから沖縄に強く惹かれる。これまでにも何度か沖縄に行き、行くたびに改めて好きになる。日中は海で泳げるし、夜はジャズができるし、泡盛は美味いし、言うことなしだ。もっとも居住すると台風や基地問題、就職難などシリアスな問題もたくさんある訳だが・・・

 沖縄県の玄関口・那覇空港に降り立つと、まず南国特有の匂いに迎えられる。明らかに湿度の高い空気。本土にはない雰囲気だ。ここからタクシーで十五分も走ると那覇の中心地、国際通りに着く。随分観光化されたとはいえ、メインストリートを一歩入いると、細い路地がまるで蜘蛛の巣のように入り組んでいる。猫天国だな、と思う。魚をくわえて逃げても簡単に逃げ切れそうな気がした。何か、こんな感じの細い路地とかに惹かれる。昭和50年代初期の米子もこんな感じだった。一歩入ると溝の付いた細い路地が枝分かれしていた。きれいな街並みというのも好きなんだけど、路地裏のごちゃ混ぜ感も好きだ。

 そう言えば那覇にはジャズ・ボーカリスト与世山澄子さんの「インタリュード」というお店があるんだけど、未だに行ったことがない。情熱大陸に出演されたのでご存知の方も多いかも知れない。ジャズ・ファンには懐かしい名前だ。

 今から24年ぐらい前にスウィング・ジャーナル誌上でよく与世山さんの名前を拝見した。当時は沖縄自体が今のようにブレイクしていない時代で、沖縄ジャズ界もまったくといっていいほど知られていなかった。そんな中で与世山さんがマル・ウォルドロンと共演されてアルバムを作られたのだ。「日本のビリー・ホリデイ」と一気にブレイクされたような記憶がある。S・J誌でも沖縄ジャズ特集の企画があったような気がするけど、与世山さんがアルバムを吹き込まれた頃なのかどうか、そのあたりにの時代考証は曖昧だ。その頃、S・J誌を読んでいた私は、沖縄のジャズマンは「米軍基地で鍛えられた凄腕(死語)のジャズマンばかりなんだろうな」と思っていた。那覇の中心部から少し離れているということもあって「インタリュード」にはまだ行ってない。

 旅行先ではセッションしたくなるもので、もちろんセッション不可な店やセットもあるので、現地に着いたらとりあえず電話でセッションできるかどうか確認しておくことが肝心だ。

 沖縄で最初に訪れたジャズ・バーは国際通りのはずれに位置する「寓話」だ。ピアニストの屋良文雄氏のお店。常連客か観光客かよく分からないが、平日でもお客さんが多い。初日は何となく下見も兼ねて、ふらっとカウンターに座る。観光客を装って、って言うか実際に観光客なんだけど(笑)、屋良さんの息子さんとカウンター越しに他愛ない話をしながら泡盛をがんがん飲んだ。

 ちなみに「なんぼ」のサックス奏者曰く「沖縄で飲む泡盛は美味いけど、本土で飲むと不味い」らしい。泡盛が美味いのは「沖縄の気候の中で飲むから」なんだそうだ。なーるほどね。泡盛を飲んで無茶苦茶酔っ払ったので「ジャズマン宣言」した。で「明日セッションさせて下さいな」と申し出てみた。一瞬、一同の目つきが鋭くなった。


6   沖縄の熱い夜 ②
 ジャズ・スポット「寓話」は階段を上がった二階にある。区切られたフロアの奥の方にグランドピアノがでんと鎮座し、ここでレギュラーバンドが毎晩日替わりで演奏を繰り広げる。

 この日は店のオーナー屋良文雄氏のレギュラー・トリオと演らせて頂いた。初めて合わせる時って緊張する。どんな技が得意なのか、或いはどんな癖があるのか。どんな展開になるかはまったく分からない。とにかくカウント後の一音が放たれた瞬間、もう後戻りはできない。「やめとけばよかった」と後悔する瞬間でもある(笑)

 「酒とバラの日々」「ミスティー」「ブルース」「グリーンドルフィン」など6~7曲を演る。途中、ミスティのコードを確認しようと譜面を見ようと思ったら屋良氏に睨まれたのでやめた。やはりスタンダードは暗譜しておかないと駄目だな。それにしても凄いトリオだ。オーソドックスに始まったかと思えば、途中から徐々にトリッキーなコードが混じりだす。リズムも前ノリ、後ノリのどっちとも言えず、かといって崩れる訳でもなく、これが琉球ノリなのかと思わず唸った。トリオのメンバーはさすがに息が合っている。ピアノの変態的 な挑発(失礼)にうろたえることなく応える。こういうのがバンドの良さなんだよな。

 「寓話」には昨年十月にも行ってきたが、トリオのメンバーのうち、ベーシストが変わっていた。まるでギターのようなベースを弾く人だな~と思っていたら、次の日に行った国際通りのジャズ・バー「カムズハウス」ではギターを弾いておられたのでびっくり。どうりで。

 ちなみに「カムズハウス」はここもオーナーがピアニストでかむらさんという名前。かむらの家、略してかむの家。ここでは石垣島から来たという陶芸の先生がフルートを持って遊びに来ていた。石垣島に行った際、地元のジャズ・バー「スケアクロウ」の人が「石垣と本当の人間は人種が違う」と言っていたけど、それは本当だと思う。石垣の人を見ていると沖縄の人は随分と普通に見えてしまうから恐れ入る。「カムズハウス」では東京ユニオンを
辞めて本島に移住したテナーマンともセッションできて楽しかった。ここでは泡盛ではなくオリオン・ビール。このビールも沖縄で飲むと非常に美味しい。




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